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過去と目的②

  • 管理人ぺんぎん
  • 2019年2月13日
  • 読了時間: 3分

高校卒業してからは何か得体のしれない漠然とした不安が常に全身を駆け巡ってるような、もうどうしようもないような感じでした。

その後、親に家を出るように言われ愛知県で一年間工場で働いてました。初めての一人暮らし…不安と緊張で1年後は完全にダウンし実家に戻りました。

その時に初めて心療内科に行きました。先生は話を聞くなり、社会不安障害と診断し薬で絶対に直ると言い沢山SSRIをはじめとする処方箋を出してくれました。しかし、僕は本当に治るのか?という疑念を持ちつつ飲んでみましたのでなんか余計に不安感がますし、悪夢を見るし、なにか自分が自分じゃなくなるんじゃないかってよくわかんない恐怖心に囚われてしまいました。なんとなくですが薬ではダメだって直感で思ってました(今は中立で必要なときも人もいるし、僕自身実際服用もしてます)

そして、なんとか薬ではなく治す方法はないかと森田療法というものに出会いました。そこでは対人恐怖症と診断されました。はじめて入院しました、怖かったですが。入院というより修行に近い感じでしたね。動かずいたり、ちょっとした仕事をしたり。

治りはしませんでしたが、何か大事な症状への対処の方法がつかめた気がします。俗に言われるあるがままに似た考え方というか体で覚えるあるいは感覚を悟るって感じでしたかね。

少しずつ良くなって、視線恐怖などは無くなりましたが…対人恐怖的なものは残りました。

~途中端折ります~

それから、結構色々あって現在に至るって感じですが…数年前に再び心療内科に行きました。その時は薬を補助程度に考えて徐々に調子よくして、薬止められればって思ってたんですが。

中々難しいもんで。習慣というか体が覚えるとそれから離れるのは怖いんですよね。当時再び通い始めたときはまだ薬なしで生活できてたのですが、時がたった今はかなり怖いかもしれません。

でもやっぱり薬なしで生きられたら、どれだけ気持ち的に楽かといつも思ってます。

ガーベラの会を作ったのは約2年ほど前…でも10年以上前から何かSADの人たちで集まれて交流をし、SADという病気を前面に押し出すのではなく人間としての繋がりが出来ればなと思ってました(決してSADの部分を押し込めて隠してって意味じゃないんで誤解なきようお願いします。後ガーベラの会の方向性ってだけで他の自助会を否定する意味も全くありません)

SADを前面に押し出すと、なにか根本的なパーソナルな部分で本来的な心の支え合いが出来ないような気がして…何より繋がりが病気というフィルターありきでは弱まる気がしたからです。SADは自分の構成要素の一部であり、全体ではないと思います。

なのでSADという一部を受け入れ全体を相互理解し合いながら、時には情報交換もし何かしらを楽しみそれで皆さんにつながりを作ってもらうのが今とこれからの目的です。簡単に言うと皆さんに呼称は何でもいいですが友達でも仲間でも居場所でもできればなと思いました。もちろん僕が欲しいのもあります。

人は一人では生きられませんから。同じ悩みの人で支え合えるのは他に方法はないと感じました。自分だけではないという共通する思いは未来へ前進する力になると思っています。

大人になると…特にSADになると何かを共にする友達や仲間は出来にくい人も居ると思います。なので皆さんにとって、いつでも来れる安心できる居場所になればと思っています。

長々とした駄文でしたが、もし読んでくださった方がいるならありがとうございました。

 
 
 

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